2007年12月
27日に(出勤の)仕事納め、28日に夫が帰阪、今朝長男が遠征から帰宅。
私は年賀状・お掃除(大掃除ではない)・帰省(自宅を留守にする)準備とすることがいっぱいなのに、夫は映画見に行こう〜という。
思わず「忙しい年末に映画見るようなのんびりした主婦はいない」と声が大きくなる。
夜中に年賀状を仕上げ、朝から部屋の掃除、エアコンの分解掃除、外回りの掃除、カレンダーの付け替え・・・
ようやく終われそうなメドが立ってきた。
あとは、洗濯物片付け、アイロンがけ、帰省用荷物の準備、細々とした雑事。そして久々に家族揃って夕食(たぶん鍋きっと鍋)。
そして明日は、玄関にしめ縄を飾って北陸地方の積雪量の少ないことを祈りつつ石川県の白山のふもと、夫の実家に向かいます。
そこには、今年もネットで注文した3段おせちが待っているはずなんです
20数年前の新婚一年目は熱を出しながら2日がかりで20数品のおせちを手作りしたのに・・・時代が変わったのか、私が変わったのか
皆さん、良いお年をお迎えくださいね
あえてこの一週間の自分のことを記してみます。
17日(月)仕事の後は、診断協会の理事として所属する委員会の忘年会でした。2次会ではおじさんおばさんのカラオケ。長年勤務の事務局長とデュエット。最後には『青春時代』(森田公一とトップギャランって知ってます?)の大合唱
18日(火)またまた昼間の仕事の後、診断協会の50周年記念誌の編集担当プロジェクトで校正作業を3時間、その後お疲れのビールを1杯いや2杯でした。
19日(水)仕事を早めに切り上げて二男の学校へ。学校推薦枠で大学進学が決まった者が親子で召集され校長や学年主任からの注意を受ける。家に帰るとその足でお向かいのおじいちゃんのお通夜へ。96歳の大往生。喪主の息子さんは「一世紀を生きた親父」とご挨拶。
20日(木)仕事はピーク。府支援センターでは創業者の事業評価委員会(一応委員長なんです)。夜は某大学のサテライトオフィスで社会人女性向け講座。「ネットショップを始めたい方向け」の最終回でグループことにプレゼンテーション。時間延長で終了は10時。初回の講義を担当した時の予想をいい意味で裏切るほどのセミナーの成果に感動その後、講師陣の打ち上げ。深夜の帰宅。
21日(金)3連休を控えて年内の仕事のメドをつけるべく頑張った(はず)。夜はお世話になっている公的機関の幹部の忘年会。飲み会漬けの今週の最後を飾るにふさわしく・・・
22日(土)二男が進学予定の大学で、推薦枠などで早めに合格の決まった学生向けのガイダンス。二日酔い気味のまま早朝から母子で京都へ。ガイダンスやら購買部やら生協やらと歩き回り、4月からの息子の下宿先も決める。いまどきの学生向けマンション・・・何とIHクッキング完備
23日(日)ようやく休日かと思いきや、お世話になっている大先輩の社長さんの奥様が急死され、葬儀に・・・参列の方々も動揺を隠せない。「救急車の到着を待つ間に自分の腕の中でどんどん冷たくなっていった」・・・人間の命のはかなさと尊さを再認識。
夜はプレ・クリスマス。息子と一緒にワインを一本飲み干す。
あぁ〜見事に主婦業が欠落した一週間でした。
いえいえ、朝の弁当作りとユニフォームの洗濯はなくなりましたが、毎日留守宅の息子たちの食事の用意、洗濯もの整理、最低限のご近所つきあい・・・は何とか必死でやってます
手が付けられていないのは、
・来年1月納期の調査・分析の仕事一件
・年賀状(はがきを買ったのみ)
・今期の決算(個人事業自衛の私は12月末が〆です)
(・年末の大掃除)
『偽』で象徴された一年でしたが、来年はおなじ読みでも『技』や『儀』を大切にする一年でありたいものです
さぁあと数日、一年の締めくくり頑張ろうっと
幼い頃はこの石碑の周りで友達とゴム跳び、おはじき、なわとび・・・毎日のように遊んだ。
この建物が取り壊される。
昨日8日付けの朝日新聞大阪河内版には、
『築100年ハイカラ建築にお別れ・・・有志ら明日催し』とある。
写真展やコンサートがあるというので、親子3人で出かけた。
入り口を入ると、いきなり「あの〜素晴〜らしい愛をもう一度〜」のバンド演奏。見ると、同世代の中年おじさんバンドが熱演中。壁にはセピア色の何十年も前のなつかしい町の写真。そして地元町民の寄せ書き・・・不用意にもいきなり涙があふれてくる。(息子に指摘されまいと必死でごまかす・・・)
この建物は元々は大和銀行古市支店だった。(つまり銀行の敷地が遊び場だったわけだが・・)
一枚一枚の写真が訳もなく懐かしい。
今の場所とは反対側にあった駅。高架駅になる前だ改札にあふれ線路に入ろうとする人々を制止している駅員さんの写真。
火事で焼けて再建されなかった町で唯一の映画館その名も「古栄座」。羽曳野市になる前の南大阪町役場とかかれた建物。
第二室戸台風の翌年、建て替えられた真新しい小学校の講堂の写真この講堂では、私、長男、二男、私の妹、妹の息子二人。皆卒業証書をもらった。今では小学校最古の建物だ。
一枚一枚の写真の前で思い出にふける私に夫と息子は物珍しげにつきあってくれている。
数年前から町を守りたいという地元民と行政の話し合いが続けられ、明治時代の建造物は老朽化が激しく、解体して町の集会所を新たに建てることになったらしい。
あぁ〜懐かしい場所がまたひとつ歴史になっていくんだなぁ〜。私にとってはまさに「ALWAYS(古市)3丁目の夕日」
バンドの演奏曲は「ふるさと」に変わっていた。
気がつけば12月も7日が過ぎた。
師走・・・まさに慌しい一週間だった。
★1日(土)は、ピザの会ビジネスプランコンテスト
3年目を迎えてだんだん充実してきた。けれど、私のほんとの気持ちは毎回ドキドキハラハラ。応募があるか運営スタッフが手配できるかそして資金が足りるか・・・
皆さんの尽力のおかげで今年も金賞・銀賞を無事選出し、また新たな起業と支援の輪が広がった。
(銀賞はマイミクさんの紅のぷーさんだった)
写真その1は、コンテスト参加メンバーの集合写真。
★翌2日(日)は、東京日帰り出張
3時間の会議のために一日を費やす。ついでに東京に
単身赴任の夫に、ランチと会議後のディナー(というより居酒屋で一杯)をおごってもらう。
会議が銀座付近であったのでランチの前は銀座の歩行者天国、会議が早めに終わったのでオノボリサンの典型として一応六本木ヒルズ、テレビ朝日、毛利庭園といったところも案内してもらう。
写真その2は、銀座歩行天で見つけた御木本真珠店前のイルミネーション。
写真その3は、六本木ヒルズを見上げたところ。
居酒屋でついついお酒が進み、帰りの新幹線は小走り状態で駆け込む。
★3日(月)は天王寺警察へ
実は、ピザの会のコンテストの日に、名刺入れを紛失。足跡をたどってかなり探したが見つからず。家に帰ると拾ってくださった方から留守電にメッセージ。しかし途中で途切れてどこに届けられたのか聞き取れない
翌日、銀座のど真ん中にあるアップル社のショールームでピザの会コンテスト会場周辺の警察等をネット検索し、探し当てた!あった!!
そして翌々日の3日受け取りに行ったという訳である。
メッセージは聞き取りにくかったけれど、匿名で届けてくださった方に感謝まさに世話焼きの大阪のおばちゃん〜という雰囲気の声だった
★週の真ん中はマイドームの支援センターを中心に仕事。
公的機関のお仕事をさせてもらっているが、我が身のスケジュールがいろんな要因でどんどん埋まっていく。移動中のタクシーから中之島の大阪市役所周辺のライトアップを眺められたのはせめてものラッキーだった ^-^ (残念ながら写真はありません)
★7日(金)は、日帰りで徳島県へ。
先月の出張でお会いした方からの依頼で藍住町という町へ
家業を継いだ3代目が新しい事業に取り組んで家業を発展させたいというご相談。シングルファーザー(!)でなかなか好感が持てる青年だった。
一週間の疲れと、先月と同じ景色で目新しくないからか車中はほぼ爆睡
帰りのバスなど淡路島の記憶がないくらい・・・
でも目覚めてしばらくしてバスの窓越しに神戸のルミナリエが見えた。美しかった (これも写真はありません)
そして日付はすでに8日(土)・・・
今週末はピザの会のホームページにコンテストの結果をアップしなきゃ。皆さん、もうしばらく待ってくださいね