2006年12月

明日から、主人の実家石川県白山市(合併前は鳥越村)に帰省です。
主婦になって27回目のお正月ですが、年々正月支度が簡素化されていく(or自主的にしている?)ことが明らかです。
今年は、おせち料理もインターネットで実家に冷凍のまま直送できるものを注文してしまいました。
息子たちが受験などで帰省しない年は、何とか自宅で三段重にいっぱいのおせちを手作りしていますが、メニューは旧来のものからかなり現代風&我が家風にアレンジしたものです。
お鏡やしめ縄も生協で注文して宅配。
特に市販の鏡餅は、鏡開きのつもりで中身を取り出すと、個装された丸餅がコロコロ・・・という物。
子供のころのお餅つきの風景はすっかり見られなくなってしまいました。
家の内外をそれなりに掃除して、新年のカレンダーをそれぞれに配置し、帰省の荷物やお年玉を準備する・・・それなりの正月準備で、今年一年を振り返り、新年へ想いを馳せます。
忙しさにかまけて、日々の生活に追われて、見過ごしてきたことを見直す時間ってやはり必要なんだなぁ〜と思います。
今年一年、お世話になった皆さま、ありがとうございました。
そして、新年も変わらずご愛顧のほどよろしくお願いいたします m(_ _)m
いつも締切りが迫らないと動かない私だが、この検診は何と7年ぶりだった。7年前は母を65歳で亡くし、自分は母の分も長生きしないと・・と健康に気を遣い始めたときであった。
ノドモト過ぎれば〜でそれきり7年も検診をすっ飛ばしていたことになる。我ながら恥ずかしい。
で、結果は?
総コレステロール値がややイエローゾーンだった他は異常なし。 ヨカッタァ ^−^/
笑えたのが、身長と体重。
体重は7年前と全く変わらず、身長は年齢的に数ミリの減 >_<
体重は夫いわく高値安定の優良株なんだそうな〜
でも、増えていないということはまずは良しとしなければネ。
そして身長、これ以上縮まないようにカルシウムとってストレッチしないとね。
ここ数年、息子達は手がかからなくなるし、交通手段を自転車から車に変えたし、スポーツクラブは忙しくて時間がとれず解約したしと、運動不足の度合いが進んでいることがわかっていながら、わざと目を背けていた。
唯一の運動は、毎朝最寄り駅まで走ること(走らないと乗り遅れるからだが)という生活を、来年は少し変えないといけないなぁ〜〜
まあ、とりあえず今日の健康に感謝してクリスマスイブイブの乾杯〜!
皆さまの健康もお祈りします ^−^

今日(正確には昨日15日)、来春のセンバツ高校野球21世紀枠の各地方候補校の発表があった。
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20061215-OHT1T00156.htm
残念ながら、我が息子のチームは近畿の候補校に残れず、下馬評どおり県和商(県立和歌山商業高校)が選ばれた。
全国では9地区9校、この中でほんとに甲子園に行けるのはさらに2校のみ。
う〜〜ん、やっぱり無理だったか・・・
でも、終業式には大阪の候補校に選ばれたことに対する表彰を受けるらしい。ほんと、よく頑張ったよね ^−^
チームの皆んな、親たちにいい夢と興奮をありがとう!
来年の夏の大会に向けてひと回りもふた回りも大きくな〜れ!

「今年の漢字」は、(財)日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、12月12日「漢字の日」に清水寺にて発表する ・・・ものだそうです。
知ってました? ちなみに、この説明文は、だれもが投稿・編集に参加できるネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」から引用しました。
ウィキペディアには、下記の説明が続いてます。
<歴代今年の漢字一覧>
1995年 ― 「震」
1996年 ― 「食」
1997年 ― 「倒」
1998年 ― 「毒」
1999年 ― 「末」
2000年 ― 「金」
2001年 ― 「戦」
2002年 ― 「帰」
2003年 ― 「虎」
2004年 ― 「災」
2005年 ― 「愛」
そして
2006年 ― 「命」
明るく前向きの漢字より、事件や反省を表す漢字の方が多いよです。
私の今年の漢字は何だろう? う〜ん「支」って感じかな?
いろんな方を支援し、また逆に多くの人に支えられた一年でした・・・
励まし励まされで「励」っていうのもいいかも知れません。
ほんとに、皆さんありがとうございます m(_ _)m
ところで、皆さんの今年の漢字は何でしょうか?


下の息子の野球部が来年春のセンバツ高校野球の『21世紀枠』大阪代表推薦校に選ばれています ^−^
http://www2.asahi.com/koshien/news01/OSK200612010069.html
(春のセンバツは夏の甲子園と違って、予選となる地方大会で優勝した学校だけでなく一定の成績(ベスト8)以上で恵まれない環境、他校や地域に良い影響を与えているなどの理由で認められた高校が2校選出されるんです。これが21世紀枠です。)
これから、近畿2府4件で推薦1校に絞り、さらに全国9地域各代表から2校を選ぶので、道はまだまだ険しいですが、「夢の甲子園」がちょっと現実に目の前に見えたってことで、昨日の保護者会の忘年会は大盛り上がりでした。
万が一(実際は42分の2の確率です)甲子園に出れたら、仕事より優先して行くから、皆さんよろしくね〜〜 ^−^/


今度はレンタルDVDです。
息子がTSUTAYAで「あともう一本借りた方が割引になってお得ですよ〜」と言われて、じゃあママの分といって追加してもらったものです。

昔見たのは、中学生の頃だったかな〜? 少し背伸びした大人っぽいストーリーと、サイモン&ガーファンクルのさわやかな歌声が印象的だったのを憶えています。
ひとり、青春時代の映画を堪能したころ、息子が起きてきて遅めの夕食・・・思わずあの花嫁を奪うラストシーンを見せてやりました。
気分転換できたところで、世は12月。
仕事も家事も今年のことは今年のうちに片付けましょうっと!

今日は、ある企業で開かれた、女性の働き方についての意見交換会に参加してきました。
参加者は、経営者+女性社員(東京や名古屋からも参加)+他企業の女性社員+大阪府&大阪市の男女共同参画課の方+なぜか私・・・という20名ほどのメンバーでした。
男性は、後半参加された社長以外は、大阪市職員の2人のみ。
女性がキャリアを積むということについて、それぞれの体験談を交えながら、意見を交換することに・・
議論は、
・経営者にいかにこの問題を経営課題として認識させ取組ませるか
・女性自身がワークライフバランスの中でどうやってキャリアを積むか(積んできたか)
という2つのテーマを中心に進み、最後に社長が自身の考えを熱く語る(といういつものパターン?!)。
この企業は、「人事部」ではなく「人材部」を置いて人事考課とはまた違った視点で人材育成を図っていること、そして、このようなテーマで女性社員が社長の熱い意見を直接聞く機会を設けておられることが、外部の方にはとっても新鮮だったようです。
私も、皆さんそれぞれの貴重な体験や現状の悩みを聞かせていただき有意義な時間でした ^−^
以下、関連するお話の補足です。
====== 今日の社長の名言をご紹介します。
「『自由には責任が伴う』というのはウソ。
責任をもって(仕事をして)もらうには自由が必要」
別の言い方をすれば、「責任を担うことが人を自由にする」。
つまり、『育児休業や勤務時間などに柔軟に対応して自由に働いてもらってこそ、仕事での成果が期待できる』っていうことです。
大いに納得です。
======= 大阪でも仕事がおもしろくて結婚の機会を敢えて逃す方も多いですが、東京の出生率は0.・・1.0以下ですね。
社会全体が(企業も含めて)もっと子育てに優しい社会にならないと、女性は躊躇しますよね。
今日参加された皆さんは、「キャリア=ハードワーク」ではなく、「キャリア=自分に合った仕事の仕方を続けていくこと」っていう意見が多かったように思います。
そして、企業側はその環境を準備するのが務めだと・・
また、確かに時間的には出産・育児はマイナスだけど、精神的にはそれが仕事にプラスになっているという意見が多数派でした。
「三丁目の夕日〜」ではありませんが、もっと人間の自然の営みと仕事を共存させないと、人類はダメになるような気がしています・・・

昭和33年と言えば、あの長島茂雄がプロ野球に入団した年。
(私は3つか4つ、まだ幼稚園に入る前のこと・・)
力道山の空手チョップ、ダイハツのミゼット(オート3輪車)、フラフープの大流行、氷で冷やす冷蔵庫・・・なつかしいものばかり・・・我家にテレビが来たのが何年だったかはっきり憶えてはいないけれど、近所の電気屋さんの前に人だかりができて、必死で力道山を見た記憶はうっすらとある。
古きよき時代。貧しくても夢と希望にあふれ、家族や近所の人々の心の温もりがあった・・・(これじゃTVのナレーションと同じだぁ)
思い出に浸りながら見ている私が涙ぐみそうな場面になると、隣で見ている息子がティッシュを投げてくる。
そうよ、携帯のメールで彼女と簡単にやりとりができ、自由に電話で話ができるお手軽な時代ではなかったんだよ〜
哀しい手紙を読む場面が出てくるたびに、私は息子にそう言い聞かせていた。
あれから50年近くたったなんて〜日本も高度成長を遂げたけど、果たして私も成長できたんかなぁ〜?
現実には、成長どころか老化が始まっているんだけど、いつでも戻れるような、原点のような不思議な映画だった。
昭和34年を舞台にした続編ができるらしい〜今から楽しみだ^−^