reiwa新元号が「令和」と決まって、改めて私にとっての「昭和」「平成」を振り返りながら考えた。

昭和は、私にとって高度成長とともに育ち、成長した時代だった。
「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれているような子ども時代、小学4年生の時に東京オリンピック、高校に入学した年が大阪万博と、高度成長時代の夢のある経済成長を満喫し、これからはコンピュータの時代だと、理系クラスから理系の学部に進学した。
卒業後は、システム会社に就職。子育てとの両立を目指して、長男出産後も仕事を続けた。女性の働き方は、今より限定的で様々な不均等待遇もあったが、逆に、1985年の男女雇用機会均等法とともに男性のような働き方はできないと退職。フリーランスのはしり(?)となった。
システムをもっと経営の役に立つように提案しなければと思い、「中小企業診断士」の資格と出会ったのが昭和の最後。昭和63年に1次試験に合格した。

平成元年に、消費税導入とともに二男を出産(当時は、出産にも「消費」税がかかった)。そして、翌年2次試験に合格、晴れて診断士登録となった。女性診断士が、今よりさらに少ない時代。「女性」×「情報部門診断士」はそれなりに希少価値があり、登録から5年目で大阪の診断協会の理事の一員に入れていただいた。平成の最初の約20年間は、仕事と子育てを自分なりにこなすのが精一杯で、自分としては一番忙しく、けど充実した時代だったと思う。夫の実家への帰省、息子たちの将棋の大会や野球の試合の応援で、あちこちに行けたけど、家族そろって自由な旅行には行けなかった。
二男が、大学に入って下宿生活を始めたころから、子育てとの両立の「タガ」が外れ、仕事の比率が拡大。調子にのっていたら、平成24年、早期退職で第2の人生の緒に就いたばかりの夫が病に倒れ、私の仕事もセーブし闘病克服を目指したが、翌年無念にも帰らぬ人となってしまった。

平成最後の数年は、自分自身年齢的にも健康には気を配るようになったが、今までで一番自分の好きなように時間を使える状況にある。仕事では、よろず支援拠点の立ち上げから今も継続させていただいているし、自分なりの考えを文字にする機会もいただいた。プライベートでは、自分の老後ののため、自宅を新築・転居したし、二男が結婚・出産し孫が誕生した。
私にとっての平成は、国の経済は低成長だが、個人的には幸い災害を被ることもなく、仕事と家族のため、そして最近では自分のために、多忙だがそれなりに充実した時代だったと言える。仕事でご一緒させていただいた方にも家族にも、改めて感謝しなければと思う。

そして、来月から「令和」。夏には、平成元年生れの両親をもつ、令和元年生れの孫が誕生する予定で、楽しみが増えそうだが、孫たちのためにも、平和で穏やかなそして多くの人々が幸せを感じられる時代になって欲しいと切に願う。
そのためには、昭和のシステムから脱しきれずにもがいた平成よりも、新たに人類の存続のための持続可能な仕組みを構築することが求められるように思う。自然環境もエネルギーもしかり。人間社会の仕組みもしかり。
私自身は、その活動にどれだけ参画できるか、いつまで活動できるかは定かではないが、3つ目の元号の時代を受け身にならずに、生きられたらなと思っている。