先日、大学の後期の成績発表があったらしく、下の息子がしょげている。「ジェンダー論」という教養課目が不合格で単位をもらえなかったらしい。レポートも試験もきちんとこなしたのに…と言う。

とすると、原因は
 \績事務処理のミス
 ∪萓犬虜療席針の偏向
 B子のレポート&試験の出来の悪さ
のいずれかだろう。
本来は、をまず考えるべきところだが、,筬△硫椎柔をすぐに思い浮かべるのが、職業病というべきか…

案の定、息子も「担当の先生は『ママを標準語にしたような』自分の考えを正しいと信じているしっかりものの中年女性だった」と言いだした。(息子も20歳近くなると、母親を冷静にみているもんだあせあせ

,呂箸發く、△鉢は表裏一体の面もある、試験で記述した内容を聞いて見ると、「見る性」と「見られる性」について、どうやら女性専用車両を例に何やら息子なりの考えを述べたらしいがく〜(落胆した顔)

私は、社会科学の分野で、事実を問うならまだしも自分の考えを書かせて不完全であれ未熟であれ「不可」の評価をすることはふさわしくないと思っている。ジェンダー論だって生物学的性差はともかく、社会的性差についての解釈は、一意ではないだろう。

確かに、家の息子たちは、女性を「守るべき性」「見られる性」とは思っていないかも知れない。夫と私の関係も、先生の教えるジェンダー論の思想とはかなり異なるに違いない。私のように、ジェンダー論でいう「女性」とは少し趣の異なる母親を持ったが故に、息子の女性観に影響を与え、「ジェンダー論」の単位を落としたのだとしたら…当の息子は、落とした単位はまた取り直せばいいと、すでに気を取り直してはいるが、母親としての心境たるや複雑だ。